生きてるだけで丸もうけ

海外での学生生活や、旅行、仕事などについてまとまりはないですが定期的に綴っていければいいと思います。

インターンシップレポートは終わらない

ネットへ安定的にアクセスできる環境ではないので、更新日とブログの日程にずれが生じている。これをどうにかする方法はあるのかな?

 

ところで、インターンシップレポートを三つ書かなければならない。一つはインターン先のHR提出用、一つは私をインターンとして派遣していただいた日本ユニセフ協会様へ、そしてもう一つは単位のために大学へ。 自分のやってきたことをパパッと書けば良いやと思っていたが、これがこれがなかなか覚えていない情報もあるので結構な作業になる。インターンネットが使えなく、生産性が上がらないため来週中(いや月曜日にやると決めておこう)の提出を目標に明日から作業に取り掛かることとした。

10月4日(日) 今日は先に来ていた仲間たちが企画してくれた日帰り旅行に参加させてもらうこととした。なんかのお祭りがあるとのことだったのだが、目的地も、なんのお祭りかもわからないまま出発し、分からないまま帰ってきた。朝6時という集合時間はかなりきついものがあったが、無事に10分の遅刻で済み、みんなと合流することができた。 1時間ほどバスに揺られ、そこから祭りで盛り上がる人混みを湖を目指し、炎天下の中を1時間ほど歩いた。外国人が珍しいのか、みんな我々のグループの写真をしきりに撮っていた。特に長身、ブロンドヘアーの友人(男)とスレンダー美人の友人(女)はもはや海外セレブ並みに一緒に写真を撮ってくれとせがまれていた。

国は違えど、イケメン・美人については何かしらの共通したものが存在すると感じた。 ちなみに日本人はというと、町を歩いているとほぼ間違いなく「チャイナ」と声をかけられる。エチオピアにいるアジア人は彼らにっとて皆中国人なのである。

最初の方は、ノー、ジャパンと返していたが、あまりにも言われるのでもう聞き流すしかない。 しかし、そんな私にも一緒に写真を撮ってくれと5人くらいからお願いされた。もちろん悪い気分は全くしないので、いや、なんならサインもあげるよくらいの勢いで撮影に応じた。

湖に近づくにつれ、人混みは満員の通勤電車並みに膨れ上がった。その中で2人が携帯電話を盗まれたことは非常に残念であった。エチオピアでは命に関わるような犯罪は聞かないが、スリやボッタクリなどの被害は依然多く、特に外国人=お金持ちという図式があるため常に気をつけなければならない。 盗まれた後に、こっちは貧乏学生なのになどと言っても余計に虚しくなるだけである。

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謎の祭り

 

 

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湖とそれを目指して集まった人々。

 

 

祭りの後、Hotel Pyramidというエントランスからして他の安宿とは比べ物にならないような高級感が漂うホテルで昼食をとった。価格はエチオピアにしてはかなり高めで、ビール1本30 birr、ご飯は100〜150 birrであったが、湖が一望できる最高のロケーションで、食事も非常に美味しかったのでなんの文句もなく楽しめた。ホテルにはプールやスパ、ジムなどもあり富裕層御用達という印象を受けた。また、レストランではエチオピアダンスが観られ、さらには参加することもできるので興味のある方は是非。ちなみに、私はエチオピアダンスの大ファンであり、なんとかマスターしようと心に決めている。もちろん、参加者が募集された時には真っ先に手を挙げ、ダンスに参加した。

 

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ダンサーたちとエチオピア人なのに踊れない友人。

 

帰り際に、ホテルに滞在しているのであろう中国人グループに話しかけられた。毎日毎日、チャイナ、チャイナと呼ばれるため、いつの間にか中国に対しても謎の不快感があったが、みんないい人で帰りに中国のタバコをいただいた。 国は違えどアジア人、特に中国人、韓国人と話すと他の外国人とは違い謎の安心感がある。心のどこかで、「お互い遠路はるばるこんなところまでお疲れさまです。」といった雰囲気が表情から伝わるからだろうか。

そんなこんなで、帰宅は6時ごろ。歩きすぎてとても勉強的な何かをやる気にはなれないので、今日はゆっくりして明日に備えよう。

アディスアベバ到着(2度目)

Jomo Kenyatta International Airport ターミナル 1Cへ到着後、エチオピア航空でのチェックインを済ませる。次にナイロビに来るのは何時になるだろうか、果たして次はあるのだろうかと考えると急に寂しくなるものである。

ホームステイやインターン先に恵まれ、とても楽しい3ヶ月であった。もちろん良い思い出ばかりでなく、パスポート不携帯で警察に捕まったり、帰宅途中に誰かが放った催涙弾をまともに食らってしまったこともあったが、もう一度訪れたいという思いは変わらない。

最後に空港内でTuskerビールを飲み、ケニアコーヒーを購入。絶望と不安、期待はほぼゼロであるが、でも友達には会いたいという思いを胸に11時35分ナイロビ発、アディスアベバ行きへの飛行機へ登場した。

 

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ばいばいナイロビ。

 

間違ってモンバサとかに着かないかなー との思いは裏切られ、むしろ定刻よりも早くアディスアベバに到着した。

 

エチオピアでのビザはon arrivalで入手した。土曜日の1時過ぎの空港は驚くほど静かで、ビザの受付も待ち時間なしですぐに申請できた。事前情報だと、パスポートのコピー、パスポート写真、US$70(3ヶ月)が必要とのことであったが、実際はお金だけでビザを入手できた。というか滞在目的や滞在場所などもあまり詳しく聞かれなかったので、どちらかというとビザを買うみたいな感じだった。

窓口には黄色い紙で通貨ごとの支払額が書かれており、そのなかに日本円も含まれていた(確か8,800円くらいだったと思う)。 Visa、Masterのステッカーが貼られており、それらしい端末もあったのでクレジットカードでの支払いをお願いしたが、案の定、端末が機能せず、結局USドルで支払った。 $80を支払い、$10のお釣りをもらうことができたが、これは日本円で支払った場合お釣りはどうなるのだろう。。。

荷物を回収した後、空港前に待ち構えていた黄色タクシーを捕まえ滞在先のサディスキロへ向かった。サディスとはアムハラ語で6という意味なので、サディスキロは6kmという意味になる。どこから数えて6kmなのかは未だにわからない。 滞在先のアパート(3階建ての一軒家)に住んでいたのは新しくプログラムを始める1年生で、懐かしの再会は月曜日に持ち越しとなってしまった。。。 正直、このアパートは学校から近いという点では非常に便利なのだが、周りには特に何もなく、部屋も正直良いとは言えないので、もう少し中心部のイイトコロに住みたい。

ただ、自分でも頑張って探してみたが、Web上にはあまり情報はなく、3ヶ月という短い滞在期間でリーズナブルに貸し出されているところは見つけられなかった。 用意されていたシーツやブランケットをすぐにお湯で熱湯洗浄し、ダニ、ノミ、南京虫の被害を抑えることに勤めた。

 

その後アラットキロ(4kmという意味)にてSimカードを購入し、ビールとつまみを買って部屋に戻ってきた。Simかーどは30 birrで15 birrのクレジット付きだったのだが、Micro Simスロットにはまるようにカットしてもらう手数料が20 birrだった。

なんかおかしくないか?と感じたが、たかが100円程度のことでイライラするのもバカらしいので素直に支払った。 そんなこんなで気づけば辺りは暗くなってきたため、帰り道にビールとつまみを購入し帰宅。前回と比べてビールが値上がりして、11 birrになってた。

あー、明日は何をしようかな。ルームメイトがあまり外には出たがらなさそうなので、このまま行くとかなり暇になってしまう。 おとなしく勉強をするか、それとも市街へ繰り出してみるか。

 

明日決めよう。

ナイロビとアディスアベバと

昨日、インターンシップ最終日に暖かく送り出されたものの、事務所の鍵を返し忘れるという失態のため本日再度オフィスに行かなければならないことに。

いやー、詰めが甘いね。いつもいつも。

 

そんなこんなで、今日はついでにUN内のポストオフィスから、もう着ないであろう服やお土産や思い出などを詰め込んだダンボールを送ることとした。

受付の方にBy Surfaceでお願いしますと伝えるも、

 

'本気で言ってるの!?'

'3〜4ヶ月はかかるわよ!!!'

'AirにしときなさいAirに!!!!'

 

と畳み掛けるようにアドバイス(おせっかい)を頂き、心折れそうになったのですが、料金を出してもらうと

 

By Air: 10,000Ksh〜

By Surface: 2,690Ksh

*5kgの箱の場合

 

お金ないんで、Surfaceでお願いしまっす。

 

私の修士プログラムは短期集中授業、長期休みが売り(自分で言ってるだけ)で3ヶ月の授業、3ヶ月の休みというスケジュールが4セメスター繰り返される。しかし、今回の2ndセメスター終了後の夏休みは全てインターンシップに捧げてしまったため、休んだという気が全くしない。

'将来への投資だ'と自分に言い聞かせ、なんとか乗り切ることはできたのだが。。

 

そして残された4日間という短い休みの間に、買い出し、荷造り、Kindle本の購入、テキストのダウンロードなどをこなし、エチオピアに移動しなければならない。休みというよりは準備日という感じだ。

 

実は、エチオピアのアディスアベバには1stセメスターの間に滞在していた。今回がに度目となるが、私はどうもこの国(町)が好きになれない。理由は山のようにあるのだが主だったものは以下のとおりだ。

 

1. 物乞いが多すぎる、外国人からは常にぼったくることを考えている。

私も最初に訪れた時に驚いたのだが、物乞いの数があまりにも多い。こんなもの無視をすればいいじゃないかと言われるが、とにかくしつこく家まで付いてきそうな勢いで追っかけてくる。しかも、物乞いと言いながらも隙あらば財布や携帯電話などを盗む気なのでストレスが半端じゃない。(前回、財布を子供達に盗られひどく憤慨したことは一生忘れない)

さらに、我々のような貧乏学生は、大学に通ったり町に繰り出そうとする際には乗り合いバス、バスが走っていない時間帯はタクシーを捕まえて利用するのだが、やつらは外国人からは必ず多めに取ろうとする(もちろんメーターなどはない)。そのため、毎度毎度、料金交渉という非常にストレスフルなステップを踏まなければならない。さらにはタクシーの場合だと家が近づいてくると、

 

'やっぱりさっきの金額じゃ少ない'

'思ってた場所よりずっと遠い'

 

などと抜かしてくる。いやいや、他の運転手は同じ時間、同じ場所から同じ場所までこの料金で乗っけてくれたよ。

 

さらにさらに、料金支払い時、仮に250birrの料金を300birrで払ったとすると。

 

'お釣りがないから50birrは渡せない'

 

本当に腹がたつ。これが本当に持っていないのではなく、あるけど渡したくないからこんな言い方をして少しでも金を稼ごうとしているのだ。

アムハラ語にはモラルという言葉は存在しないのか。

 

その点、ナイロビの乗り合いバスはきちんと整備されている。(同じインターンの友人に言ったらひどく驚かれたが)

料金は決まっているし、座席数以上の人は乗せない。さらにルートに関しては最近Google mapのルート検索に乗り合いバスが公共機関として登録されたほどきちんと管理されている。

皆が皆、という訳ではないが貧富の差が激しい分エチオピアではそういったイライラを与える人々に会う機会がすごく多いと思う。

 

2. 空気が汚い。

これに関してはナイロビもほぼ同じではあるが、排気ガス、ゴミ、チリなどが舞い散っており非常に空気が汚い。驚くことに、エチオピアで見かける車の90%以上は我が国を代表する自動車メーカー、トヨタ製なのである。

なんでトヨタの車から真っ黒な排ガスが出ているのかは分からないが、おそらくドバイあたりで右ハンドルから左ハンドルに切り替える際に、ついでに排気ガスをコントロールしているなんらかのパーツも抜き取っているのであろう。

洗濯をするといつも洗った後の水が毎回真っ黒になる。さらに鼻をかむと黒い何かが高確率で出現し、

 

'自分、命削ってんなー'

 

との思いが頭をよぎる。これに関しては、発展途上国ではままあることなので仕方がないといえば仕方がない。

 

3. ネットが遅い。

いやいや、あなたはアフリカにいるのに何を期待しているの? と言われるのは存じ上げております。しかし、エチオピアは仮にもアフリカの中心を名乗っており、AU本部がありそれの担当窓口としてEUやUN、さらには世界各国の大使館があるのだ。

それなのにこの脆弱なインフラはなんなんだ。みんなどうやって仕事をしているんだろうとすごく不思議である。さらに言えば、こんなネットが満足に使えないような地で、

 

'リーディングはネットに上げといたからダウンロードしといてねー'

 

なんて言う大学は何を考えているのか。10kb/sで保存場所までたどり着ける訳がないだろ。USBに詰めて郵送しろ。

 

と、まだまだ言いたいことは山ほどありますが、さすがにこれ以上愚痴を言うとこれから3ヶ月滞在する自分の心が折れそうになるのでこれくらいにしておきます。まぁ、なんだかんだ言って、今回は旅行とかも計画しているので前回よりは楽しい滞在になるはず。

はずなんだ。。

インターンシップ終了

7月1日よりケニア、ナイロビでインターンシップを行ってきたのですが、9月30日の今日が最終日となりました。3ヶ月のインターンを振り返る意味で書いたのですが、ちょっと愚痴っぽくなってるのでご了承ください。

 

私がインターンしていたUnitは、

ソマリアのNGO-UNICEF ソマリア-UNICEF ソマリア ナイロビオフィス

のような体系で、ナイロビオフィスがNYのHQに連絡を取ったり、ドナーへの報告書を取りまとめたりしています。私の担当したプロジェクトではUNICEF, ILO, UNDPの3機関が取り組んでいるため、報告書をひとつにまとめるのにものすごーーーく時間がかかりました。まぁそれぞれがそれぞれの現地オフィスに確認を取っていたらそうなりますよね。。。こういう縦割り的なところはなんとなく耳にしたことがあったのですが、よもやそのまんまとはね。

 

 3ヶ月のインターンで、自分のやりたかったことはあまり出来なかったなーという感じです。

1ヶ月目はブリーフィングに多くの時間をとられたり、パソコンを用意してもらうのに10日もかかったりと仕事をするというよりは、ずっとプロジェクトについて自分で調べるみたいな期間になってしまいました。

2-3ヶ月目は多少仕事を振ってもらえたのですが、フィールド事務所にいろいろ聞きながらクオーターレポートを作成していたら、まったく同じようなものがUNDPから出てきたときには '自分なにやってんだろう。。。' とすごく落ち込みました。

結局インターンだからなんか適当にやらせとけって思われてたんだろなー

 

誰が悪いというわけではないですが、このUnitにインターンが来たことは無いってのもあって、どう扱っていいのか分からないみたいな感じはひしひしと伝わりました。私個人としては、もっといろいろ仕事を回してくれアピールをしていたつもりなのですが、やはり重要の仕事はほとんど回って来ませんでした。

結論として、インターンなんかで得られる経験なんてものはそんなになく、やっぱりちゃんと契約をしてお金をもらって仕事をしないとちゃんとした経験は積めそうに無いな。

最後にインターンの成果報告を書かなければならないのだけど、自分のやったことが果たして本当に意味があったのかどうかが分からないので何を書けばいいのかすごく悩みそう。

ブログについて

2015年の4月より、海外での大学院生活やその後の進路について書くためにはじめたブログです。しかし、いかんせん怠け癖がひどいのと、そもそもテーマを絞ると急に何も書けなくなるという圧倒的な文才の欠落により更新がたった3回のみになっていました。。。

こうした反省も踏まえ、今後は自分の体験したこと、興味があること、感じたことを日記代わりに一貫性なく書き続けて生きたいと思います。

そもそもブログってのはそういうものですよね?半年前にブログを始める際、"ブログの始め方"でググってたら

 

"ブログのテーマを決めよう"

"ターゲットとなる読者を決めよう"

 

などといったご丁寧なご説明を発見し、ミーハーな私は

 

"よし、テーマは自分の修士についてで、そこに国連職員になるためのキャリアプランを絡めて、そんでもって。。。"

などと意気揚々に考えていましたが、そもそもそんな器用なことが出来るはずもなく、想像通り(当初はうまくいくと思ってましたが)半年間でまさかの3エントリーとなりました。

 

インターネット環境に恵まれているとはとても言えない場所にいますので、頻繁に更新できるかは分かりませんが、頑張って続けられるよう日ごろから努力して行きますのでどうか暖かく見守っててください。